そのTシャツのどこがかわいいのか——現代の“かわいい”ってなんだろう

掘り出し物を探しにフリーマーケットに出かけることがある。古着が山積みになった台を眺めながら、これ昔流行ったなあとか、これは使えそうかもとか、独り言を言いながら物色するのが結構楽しい。

その日も、いつものように古着のハンガーラックを見ていた。すると、近くにいた大学生らしき若い男が、一枚のTシャツを広げて「これ、かわいいですね」とお店に人に話していた。

どんなものだろうと見てみると、LLBean製の紺のTシャツ。襟元は少しヨレていて、前身頃にはグレーのペイントがポツポツ付いている。
女の人が「かわいい」を使うのは慣れているようでいて、若い男が「かわいい」というのには慣れていない気がする。しかも、そのTシャツの、どのあたりが、かわいいのか。

もう少し回っていると、別の若い男が真っ赤な七分丈のパンツを手に取り、「これかわいい」と言いながら合わせてみていた。すると、お店の人が声をかけた。
「あ、そっちのお姉さんの方が先客だから、ちょっと待ってね」
真っ赤な七分丈をめぐって、男女が静かに競合していた。

それにしても、と思う。あの汚れたTシャツも、真っ赤な七分丈も、自分の中の「かわいい」の辞書にはどう探しても載っていない。

“かわいい”って、もともとは?

考えてみると、「かわいい」という言葉は、本来は小さなもの、幼いもの、守ってあげたくなるものに向けられていたはずだ。赤ちゃん、子犬、小さな花。そういうものを見たときに自然に出てくる感情の表現として、「かわいい」はある。

ところが、フリマで聞こえてくる「かわいい」は、明らかにそれとは違う。汚れたTシャツも、目立つ赤の七分丈も、小さくもなければ幼くもない。守ってあげたい対象でもない。

なのに、若い男たちでも、迷いなく「かわいい」と口にしていた。

たぶん、こういうこと?

あの場面を何度か思い出し、もしかしたら「かわいい」とは、その人から見て、完璧ではないところや、自分の世界にぴったりハマったときに出てくる、かなり主観的な肯定の言葉なのではないか。

完璧ではないところ、というのが大事な気がする。
新品でピシッとしたシャツより、襟がヨレてペイントが付いたTシャツに「かわいい」と言いたくなる感覚。それは、その不完全さこそが自分の世界観にハマる、という肯定なのだと思う。真っ赤な七分丈にしても同じだ。誰が見ても整っていて美しい服ではない。むしろちょっと癖がある。でも、その癖が自分にハマる人にとっては「かわいい」になる。

「かわいい」は、対象を客観的に評価する言葉ではなく、自分との相性を語る言葉なのかもしれない。だから他人にはわからない。あのTシャツのかわいさは、彼にしかわからない。

「かわいいは、誰も傷つけない」

そんなことを考えていて、ふと昔のテレビ番組を思い出した。

「所さんのニッポンの出番」というTBSの番組(注1)があった。2014年の10月から2016年の3月まで放送されていた、外国人から見た日本を取り上げるバラエティだ。好きな番組だったが、急に終わってしまい残念だった。
その番組の中で、きゃりーぱみゅぱみゅさんが、なぜ「かわいい」がここまで広がったのかをインタビューされていた回があった。彼女の答えはこうだった。

「かわいいは、誰も傷つけない」

この一言が、ずっと頭に残っている。
世界に「かわいい」を広めた当事者の言葉として、これ以上ない説得力があったし、彼女の覚悟が伝わってきた気がした。

そもそも「かわいい」って何なのか、ということをテレビで正面から取り上げた最初のきっかけは、きっと彼女の存在だったと思う。きゃりーぱみゅぱみゅさんが原宿から世界へ「kawaii」を発信していた時期に、メディアもようやくこの言葉の中身を掘り下げ始めた。それまでは、誰もが当たり前に使っているのに、誰もその輪郭を確かめようとしてこなかった言葉だった。

考えてみればその通りで、「美しい」とか「セクシー」とか「かっこいい」には、どこか評価の軸がある。基準があり、選ばれるものと選ばれないものが分かれる。
でも「かわいい」には、その緊張感がない。誰かを評価して順位をつける言葉ではなく、自分との相性を語る言葉だとしたら、誰のことも傷つけない。

汚れたTシャツに「かわいい」と言った彼は、そのTシャツの作り手も、前の持ち主も、隣で見ていた自分も、誰一人として否定していなかった。ただ「これは自分にハマる」と言っていただけだった。

それから10年、最前線の人も「よくわからない」

最近、KAWAII LABというアイドルグループをプロデュースしている木村ミサさんがラジオに出ているのを聴いた。ご本人もアイドル経験があり、いままさに「かわいい」を世に送り出している立場の人だ。

その木村さんが、ふと「かわいいって何かよくわからない」と言っていたのが、意外で、そして妙に腑に落ちた。

きゃりーぱみゅぱみゅさんが「かわいいは、誰も傷つけない」と語っていた頃から10年以上。その間に「かわいい」はもっと広がり、もっと多様になり、もっと曖昧になったように思う。最前線にいる人ほど、その輪郭がつかみにくいというのは、たぶん本当のことなのかもしれない。

でも、変わらないものもある。フリマで聞こえてくる「かわいい」も、アイドルグループに向けられる「かわいい」も、誰も傷つけていない。基準も序列もないまま、ただ「自分にハマる」という肯定だけが、無数に飛び交っている。

で、結局あのTシャツは

自分が「かわいい」と思えなかったのは、別に感性が古いからでも、若者の文化についていけてないからでもない(と思いたい)。

単純に、あれが自分の世界にハマらないだけだった。

自分にはあのTシャツを着こなす自信はないし、買って帰ってもワードローブの中で浮いてしまうのが目に見えている。だから「かわいい」と思えなかった。それだけのことかもしれない。
逆に言えば、あの彼にとっては、あのTシャツが自分の世界にピタッとハマっていた。

だから「かわいい」が自然に出てきた。彼の「かわいい」も、自分の「かわいくない」も、どちらも正しい。誰も間違っていない。

ゆるくて、強い言葉

ここまで書いてきて、ひとつ思うことがある。

「かわいい」は、ゆるい言葉だ。基準も序列もない。けれどそのゆるさは、よく考えると相当強い。誰のことも傷つけず、誰の世界も否定せず、それでいて確かに肯定の意思を伝える言葉が、他にどれだけあるだろうか。

世界にはいま、争いも貧困も、人と人とが傷つけ合う問題が山ほどある。そんなときに、「かわいい」文化が世界にもっと広がって、こういう問題にもうまく関わってくれないものかと、つい考えてしまう。

無理な話かもしれない。でも、誰も傷つけない言葉が世界共通語になりつつあるという事実は、悪い兆しではないはずだ。

——とはいえ、あの真っ赤な七分丈は、やっぱりちょっと攻めすぎではないのか。先客のお姉さん、どんな人だったんだろう。

(注1)TBSテレビ系「所さんのニッポンの出番」https://www.tbs.co.jp/nippon-deban/